ジュニアテニスの大会は、全国大会など大きな大会でも平日開催が当たり前。練習機会、合宿遠征を含めるともっと増えます。これはテニス選手にとっては昔ながらの常識で、時と場合によってはこの疑問を発する事で白い目で見られかねない愚問となりえます。
この点、昔を知る協会重鎮の方々によく世間話で(否定的な見解ではなく)伺っていますが、帰ってくる回答は下記で9割以上を占めます。
・昔からそうだった:わからない場合も含めて事実
・日程都合上必要:試合形式を変えない前提では、スケジューリング上回らない
・世界で戦うために必要:理由の回答とはズレるが強くなるために必要という潜在意識
実際、上記3つで、変わる必要がないロジックが心理学や組織論に基づいて、納得いく説明ができてしまいます。
ジュニアテニスの平日開催文化は、単なる運営都合だけではなく、長年続いた制度そのものが維持されやすくなる経路依存性が大きいとも考えられます。一度定着した仕組みは、合理性を改めて検証されにくく、変更するには反証するに足る相当なエネルギーが必要。昔からそうだから、という事実は制度維持の理由になりやすいです。
似た問題が夏の甲子園ですね。年々厳しくなる夏の猛暑から子供を守るために7回制の議論が年々出ていますが、実際はまだ変わっていません。今までの伝統・歴史を変えるには相当の熱量、ロジックが必要です。仮に倒れて重大な事故が起きればすぐに変わるのでしょうが、結局はきっかけがないとなかなか動けない。
さらにテニス界では、「世界で戦うには必要」「海外も平日開催」という強烈なメッセージで既存制度を自然に正当化しやすいです。これは心理学でいうシステム正当化理論に近く、人は既に存在する制度を正しいものとして認識しやすい特徴があります。
また、指導者や運営側の多くは、ご自身もジュニア時代に学校を休みながら遠征してきた世代です。
そのため平日開催は、不便な制度ではなく、競技を頑張るなら当然経験するものという集団規範として内面化されています。
さらに、有給を使った、遠征を支えた、学校を休んだといった過去の苦労ほど、あれは必要だったと意味づけたくなる心理も働きます。これはサンクコスト効果と呼ばれ、過去の負担を肯定することで現在の制度維持につながりやすくなります。よって、このように過ごしたご家庭は、この考え方を肯定化しやすく、批判的な家庭に対しては批判的になりやすい所です。
結果として、保護者側が「小学生なのに平日?」と感じても、競技内部では「昔からそう」「世界基準だから」、「嫌なら来なくていい」で議論が終わりやすい構造が生まれます。つまり現在の平日開催文化は、合理性だけではなく、歴史・心理・組織文化が複雑に重なって維持されている状態と言えます。
本記事では、事実に即して客観的に見ていきたいと思います。
実際の事例
3大大会で言うと、今秋開催されている選抜は下記の通り。

上記は前日入りするのであれば、5/13から水、木、金と3日間学校をお休みすることになります。
また、U12であれば関東小学生大会が5月22日(金)から開催されるので、翌週も休むこととなります。
このような大会に出る選手は海外へ遠征する機会もあり、1か月遠征へ行ったり。
そしてどうなるかというと、レベル感を維持するため、これ以外の平日も学校へ行かずに練習するようになります。
これは一見エリート教育として望ましいように見えますが、小学生の頃から学業を完全に無視してテニスに全振りすることで、子供の人生の方向性を形作ってしまうこととなります。
このように、テニスの選手として駆け抜けようとすると、学校生活をある程度諦める必要が生じるのも事実です。
実際、テニス以外の競技に慣れていると、この感覚はかなり特殊に見えます。
野球やサッカーであれば、全国大会は夏休みや週末中心に組まれることが多く、義務教育期間中の平日開催はそこまで一般的ではありません。ところがジュニアテニスでは、昔から平日開催がほぼ当然のように続いています。
もし都道府県の甲子園予選が平日開催だったら?
夏の甲子園が8月ではなく5月だったら?世間的に受け入れられないでしょう。
では、なぜテニスだけこのような文化が根付いているのでしょうか。
背景①日程が読めない・土日だけでは終われない
まず理解しておきたいのは、テニスという競技そのものが非常に日程を組みにくいスポーツだということです。
野球やサッカーであれば、おおよその試合時間が予測できます。しかしテニスは違います。
1時間で終わる試合もあれば、3時間を超えることもあります。タイブレークが続けばさらに延びますし、雨による中断・延期も非常に多い競技です。
さらにジュニア大会では、男子・女子、12歳以下・14歳以下など複数カテゴリーが同時進行します。加えてシングルスとダブルスもあります。
これを限られたコートで消化しようとすると、どうしても長期間の日程が必要になります。
現在でこそナイター設備や屋内コートも増えましたが、昔はさらに環境が厳しかったため、現在以上に長い日程が必要でした。
このような環境の中、32ドローや64ドローの試合を土日だけで終わらせるのは運営上なかなか厳しい所です。
1セットなど試合形式を変えれば可能ですが、伝統を重視している形。
背景②昔からずっと平日開催だった
昔の大会記録や当時の要項を調べていくと、昭和期から既に平日開催が定着していたことが分かります。
これは非常に大きなところでしょう。昔からそうだったから、変えるのが難しい。
余程大きな力がないとなかなか変わらないですよね。何が正しいかもわからないのに。
この点、寧ろ最近の方がむしろ日程短縮の努力が進んでいるとも言えます。
現在は、コート数の増加、ナイター利用、ショートフォーマット、最近ではノーレットなど、昔よりかなりコンパクト化されています。
背景③テニスは学校スポーツというより個人スポーツ
この文化を理解するうえで非常に重要なのが、テニスが学校部活動中心で発展した集団競技ではなく、個人スポーツである点です。
日本の野球やサッカーは、学校教育や部活動文化と非常に強く結びついています。そのため、授業優先、学校行事優先という考え方が自然に根付いています。
一方、ジュニアテニスは昔からクラブ中心で発展してきました。
ランキング制度があり、個人で大会を回り、全国を転戦しながらポイントを積み上げていく競技です。
さらに海外遠征や国際大会との接続も強く、国内だけで完結する競技文化ではありませんでした。
特に1980〜90年代以降は、世界基準が強く意識されるようになり、松岡修造選手以降、日本テニス界では海外を目指す強化思想が非常に強まりました。
その中で、海外大会は平日開催が当たり前、世界を目指すなら学校を調整する、
という感覚が自然に広がっていきました。90年代に駆け抜けた選手はこの感覚を当然に持っていたでしょう。
背景④環境の変化
これら平日開催の違和感は、最近強くなったのでしょうか。昔からあったのでしょうか。
これは答えは定かではありませんが、昔からあったことは事実でしょう。
一方で、ジュニアテニスを取り巻く家庭環境が大きく変化したことも事実です。
昔のジュニアテニスは、ある程度限られた層のスポーツでした。
遠征費、レッスン費、大会費用、移動負担などを考えると、現在以上に経済的・時間的余裕が必要だった時代です。
そのため、専業家庭、強化選手家庭、遠征前提の家庭が比較的多かったと考えられます。
しかし現在は、一般家庭や共働き家庭の参加が増えています。
ジュニアテニスの人口減少を背景に、教育を重視しながらテニスを続ける家庭も多く、学校を休んで当然という感覚は以前ほど共有されなくなっており、二極化が進んでいます。
寂しいですが、割に合わない、という表現もよくされますね。
最終的にプロになり、更に自立できる選手はごくごくわずか。そう考えると、子供の一勝を考えて早めに見切りをつけたくなる保護者が多いわけです。実に多くの小学生がラケットを置いてしまいます。
歴史の狭間
近年は大会運営側も少しずつ、少しずつ変化しています。
以前よりも、祝日利用、ドロー圧縮など、負担軽減を意識した運営が増えてきました。
これは裏を返せば、平日開催による家庭負担が以前より強く認識され始めたとも言えます。
実際、共働き世帯の増加や地方遠征負担は、ジュニア競技継続にも直結します。
昔の強化選手中心の感覚だけでは、現在のジュニア環境に合わなくなってきている部分もあるのでしょう。
ただ、それでもなおテニス界では、海外も平日、プロも平日、昔からそうだった、など昔から変わらない文化が根強く残っています。
だからこそ現在は、テニス界の歴史的常識と、一般家庭の感覚の間のギャップが乖離している状態なのかもしれません。
U12カテゴリーの平日開催は今後議論され続けるテーマになるでしょう。
日本のテニス界発展を考えれば、変わらないことも正しいのかもしれませんが、言われ続けるはずです。
ジュニアテニス人口が一定数維持されていれば、難しい子は参加しないでくださいと言えば済みますが、実際減り続けています。この問題だけではないですが、「時代に即して変われない」体制に対して見切りをつけるご家庭も非常に多いです。
小学生カテゴリーは、まだ本人だけで完結できる年代ではなく、保護者のサポートが不可欠です。
学校との両立、家庭との両立、兄弟との兼ね合い、仕事との調整。ジュニアテニスは競技面だけでなく、家族全体で支えるスポーツでもあります。
だからこそ、ジュニアテニスの維持存続という観点から、現在の家庭環境に合った運営をどう作っていくかが、今後重要になっていくのではないでしょうか。


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